“そもそも・・・なんで瞑想をするのか?”
という話をしたいのですが・・・瞑想の目的ですね。
まず、前回の話で説明した
①起きた出来事を、そのまま受け止める
②体感覚的に受け止められる
③想定外の時に感情で反応しないようになる
ですね。
このコロナ禍では思いがけないことが起きます。
ポジティブもネガティブも想定外のことが起きる。
そういう人類のターム(期間)に入ってきているのです。
で、コロナは“怖い”ですか?“危ない”ですか?
「怖い」と「危ない」は違うのです。
「怖い」はイメージ、妄想の世界。
怖いことには対応してはいけないのです。
それは実体がないので意味がない。
そして慌てる・・・
逆に「危ない」は現実、リアルの世界で対応しないといけないわけです。
「危ない」こと「怖い」ことを判断するわけです。
ここで2つの側面を説明したいのですが
一つ目は
コロナに対して“ディフェンシブ(防御的)”か“オフェンシブ(攻撃的)”かということなのです。
何が危なくて対応しないといけなのか?
これは“ディフェンシブ(防御的)”な対応ですね。
感染することが危ない。
密を避ける、顔や口を触らない、手洗いをするなどで対応する。
でも、この考えだけでは不安になる。
攻撃されディフェンシブになる・・・これじゃイヤなわけです。
それなのでオフェンシブの体制になる。攻めの姿勢。
ディフェンシブだけだと不安だから攻めたい。起きた出来ごとに攻めの姿勢をとる。
そこで、今とっているオフェンシブな体制の肯定的意図、この機会は何のためにあるのか?と置き換えるわけです。
密を避けるために、自転車で移動したり、リモートワークにしたり、免疫力をアップさせる生活習慣に変化したりする。
で、こういった高いストレス耐性のマインドがフィジカル、メンタルを強くしていく。
これらの環境変化に対する捉え方によって仕組みづくりをしてしまう。
体を動かしたり、思考を変えたり、習慣として自分にインストールしてしまうのです。
二つ目として
瞑想は一つのことに集中するということ。
すると、他のところが感覚的に余裕が出てきて体を一番いい状態に戻せ!という自律神経を整える反応が起きてくるのです。
これで免疫力が高まる。
オフェンシブで能動的に生きることで起きていることをそのまま受け入れ強くなります。
「怖い」「危ない」の「怖い」でメンタルをやられ、その落ち込んだステイトで挽回しようと思うから・・・うまくいかない。
瞑想で客観的になり起きている事とメンタルの距離をとる。
起きていることに対して距離を置いてから対応できるようになるわけです。
これは感覚的なもので
やってみないと納得できない。
やってみないと体感できない。
瞑想がオフェンシブに思えないのです。
こういった内容を自己超越セッションでも説明しているのですが
こちらも
ご参加くださいね。
内観をトレーニングするわけですね。フィジカルではなくメンタル。
“瞑想”は内面をオフェンシブにするというトレーニングであるわけです。
何か気持ち良く心地よく生きようぜ!・・・という
ふわっとしたものではなく、今だからこそ差をつけるために、次元上昇するために視座を上げるためにオフェンシブに瞑想をしようぜ!
こんな感じなのです。